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nonjournal


「犬」
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    好きな男が犬になってしまった。


    彼は犬になってしまったのだが、相変わらず私は彼のことが死ぬほど愛しい。


    彼は犬になってしまったのだが、私の住むマンションでペットは飼えない。

    なので、彼の飼い主にお願いして、朝と夕方の散歩をさせてもらっている。

    彼の散歩をさせて欲しいとお願いする時には缶ビールを1ダース持参した。

    元々彼の飼い主はあまり心ない人物で、彼は1週間もくくりっぱなしにされることなんてざらだったから、彼の飼い主は私の申し出を快諾してくれた。

    彼の飼い主はあまり心ない人物だったので、彼の普段の食事は、朝に1度もらうきりの安くて不味いドッグフードだけだ。

    そんな安くて不味いドッグフードをおいしそうに食べる彼がとても悲しいが、私にはどうすることもできない。

    それで私は、せめてもの楽しみになれば、と、彼との散歩にニボシやら、試供品でもらったドッグフードやら、ジャーキーなんかを用意する。

    私が地面に放り投げたニボシに彼は飛びつく。

    夏は鴨川の川床へ、私をおいしい食事に連れて行ってくれた彼の姿はそこにはない。


    彼は黒い犬になった。

    黒い犬といっても真っ黒ではなく、手先と足先は少しベージュがかっている(あと、口の周りと目の上も)。

    私が、人だったころの彼を最後に見たとき、彼は濃紺のポロシャツに黒いズボンを履いていた。

    それで彼はそういう色味の犬になった。

    私が、人だったころの彼を最後に見たとき、その時着ていたポロシャツが真っ黒ではなくて濃紺だったから、彼の上半身は下半身よりも黒味が明るい気がする。

    そのことが少し可笑しい。


    彼が犬になってしまって、彼の奥様はどうしているだろう?

    ちらりとそんなことを考えてしまうが、どちらにしろ彼の奥様とは元々面識などないし、考えても仕方がないので考えるのをやめる。

    それに彼らは既に別居婚だったから、彼が急に人ではなくなったところで奥様は気にも留めていないかもしれない。

    とにかくそのことを考えるのはやめる。

    せめて、子供がいなくてよかったことだなぁ、と思う。

    もし私の父が人でなくなったら、やはり悲しむと思うから。

    彼は犬になってしまったので、私がどんなに望んでも彼と結婚することは出来ない。

    大体彼は犬になってしまったので、奥様と離婚することも出来ないし、重婚が認められていないこの国では、もちろん私は彼の妻にはなれない。


    彼が犬になってしまって、私はタバコを吸うようになった。

    犬ではタバコを吸えないので、彼が愛したマルメンライトを、犬になってしまった彼の代わりに私が吸う。

    「煙がそちらに流れますね、すみません」

    と、彼が私に詫びたことが懐かしい。

    「いえ、良いにおいですね」

    と、私は返した。

    私は、彼が愛するものを全部愛したかった。

    彼が愛したマルメンライトを、私は散歩の途中に半箱ほど吸う。

    きちんと根本まで、丹念に吸う。

    そんな私を犬になった彼が見るともなく見ている。

    それで尚更私は丹念にマルメンライトを吸う。


    彼がまだ犬になる前、私は絵を描くことを生業としていた。

    だけど彼が犬になってしまったので、私は絵を描くことをやめてしまった。

    大体私が絵を描く理由なんて彼に褒められたいだけだったし、私が彼の為に絵を描いても元々お互いにとってそんなにお金にはなっていなかった。

    それでも私は彼に「金になる女」呼ばわりをされたかったし、初めてそう呼んでもらえた時はいたく感動したものだった。

    でも彼は犬になってしまったので、私のことを「金になる女」呼ばわりすることはもう出来ない。

    私の絵を見て褒めてくれることも、もうない。

    私が絵を描くことで喜んでくれる人は、もういない。


    彼がまだ人だった頃、私は彼のことが今と同様愛しかったが、彼に抱かれることは拒み続けた。

    今となってはもう何の意味も持たないが、彼に抱かれることで彼を愛しすぎてしまうのが怖かったからだ。

    彼が人だった時、彼は私を抱こうとしたが、私はそれを許さなかった。

    でもあのときの息づかい。

    彼は犬になってしまったが、あの息づかいは変わらない。

    そして私の手首や耳を舐める感じも変わらない。


    好きな男が犬になってしまった。

    私はもう、彼には会わない。

    彼のことは諦めたから。

    その後彼がどうなるかは分からないけれど、

    彼に出会えたことが心から嬉しくて、

    同じだけ悲しい。
    |13:40| - | - | - | posted by キャル - -
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